集英社オンライン
1985年8月12日午後6時56分すぎ、乗客、乗員合わせて524名を乗せた日本航空123便(羽田発~大阪行)が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、520名もの命が奪われた。事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。
ずっと事故原因は「圧力隔壁破壊」だと信じていた
──青山さんは日本航空客室乗務員を経て、ノンフィクション作家として日航機123便墜落事故に関する著書を7冊も出されています。でも、青山さんの名前をネットで検索すると、「実在しない」との関連ワードが出てきて。顔写真もないですし……。
青山透子(以下、同) いますよ(笑)。弁護士会や大学で何度も講演会を行っています。
ネットでは知らない人から無責任にいろいろといわれてますでしょ。ちなみに青山透子はペンネームです。故・黒澤丈夫さん(墜落現場の上野村の村長)に名付けてもらいました。
──123便の墜落事故が起きた当時は、なにをしていましたか?
わたしは日本航空(以下JAL)のキャビンアテンダント(客室乗務員)で、北品川のスカイハウスという女子寮にいました。8月12日の午後7時26分頃123便が消えたというニュース速報が流れ、寮の電話が一斉に鳴り出しました。各部屋に黒電話が1台ずつ引いてあったので、ほんとにスゴい音で。家族や親戚が心配になって電話をくれたんです。
生存者(わずか4名)のひとり・落合由美さんの部屋がわたしと同じフロアでした。彼女の部屋から、けたたましく電話の音がずっと鳴り響いていたのを覚えています。翌日、新聞に先輩たちの顔写真と氏名が載っていて、誰が亡くなったか知りました。大変お世話になった先輩たちだったので、体中が凍りつきました。
それから二十数年経って、123便の墜落に思いをはせる編集者を紹介され、先輩たちとの思い出話が中心のエッセイを書くことになったんです。一旦、書き終えると、本としてのボリュームが全然足りないので「もっと事故について調べてみてはどうか」と編集者に言われ、情報を集めることにしました。
──どんなことから調べ始めたのですか?
続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3d2021eef060db79cd542b87af387bf05d786a0
※前スレ
日航機墜落事故から39年…元JAL客室乗務員が、今も「事故ではなく事件」と言い切るワケ「レコーダー開示訴訟では裁判長が突然交代…」★5 [ぐれ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1723462495/
★ 2024/08/11(日) 20:37:03.91
これってどれくらい凄いことなの?
誰かドラゴボで例えて
延々同じレスしてるな
はい?
少し違うのが分からないの?
文体でなく趣旨
おもしろいのはドラクエであってドラゴンボールはそれほどでもない って感じ
サッシ工場は今後も安泰だから二度と現れるな
日航機墜落事故の時はガキだった奴等が偉そうに憶測で陰謀論を語るスレw
そもそもそんなの自体が存在しなかったのでは?
あったよ
地上からも発見されているんだ
で、今結構集団ストーカー問題キてるから統失スピンコントロール凄い事になってるw
やはり韓国が関係しているんだろうな
ブチ墜落現場での取材活動
御巣鷹の尾根での取材活動の際、現場の中に入り込んで動き回ったため、飛散していた乗客の遺体を足で踏みつけていたり[81]、生存者を包んでいた毛布を剥ぎ取って写真を撮影した報道陣がいた[210]。
遭難記者の続出
河村一男によると、8月13日18時10分、全国紙の前橋支局長が「昨夜から山に入った支局員が帰ってこない。捜索してもらえないか」と地上捜索を依頼してきたり、長戸沢の奥の尾根に迷い込んだ地方テレビ局や写真週刊誌などの記者数名が、軽装登山の挙げ句「動けなくなったのでヘリで助けて欲しい」と救助を依頼、不足しているヘリを割いて長野県警が救助にあたったという[211]。
事故調査委員会現地拠点での深夜取材
事故調査委員会は上野村役場隣の保健センター3階を拠点としていたが、立ち入り禁止にしているにもかかわらず、報道陣は連日深夜まで3階の拠点に殺到し調査官の睡眠を妨害することとなった[212]。
遺体検視所の覗き見
一部の記者は藤岡市市民体育館の窓枠を登ったり、近くのNTTの鉄塔から望遠レンズで中を盗み撮りしようとしたため、体育館の暗幕を閉めざるを得なかったという。よって体育館内の温度は40度にもなり、検視活動がより過酷なものとなった[213]。
病院への不法侵入
入院治療している生存者に接触を図るため生存者の友人や親戚と偽ったり、白衣を着て医師を装うなど、記者が身分を偽って病室への侵入を試みる事案が後を絶たなかったという。更にはICUの向かいの病院新棟建設現場の足場を4階までよじ登った者や、病室から手術室へ移動する際に無理矢理写真を撮ろうとする者も居た[214]。
遺族宅への不法侵入
父母と妹が事故機に搭乗し中学生の息子が留守を預かる遺族宅の取材で、記者達は母と妹の遺体が収められた棺と共に勝手に家の中に上がり込み、記者の中には遺族の了承もなく棺の顔の扉を開けて遺体の写真を撮ろうとした者さえ居た[215]。